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体型を言い訳にして
着たい服を諦めるのはやめよう。
そう決めたのは今年の夏でした。
 
自分でその日の服を
選ぶようになってから20年強、
夏は必ず1枚羽織ってきました。
半袖やノースリーブ1枚での外出を
親の仇かと思うほど嫌がり、
鉄の意志でカーディガンや
ジャケットを着ていました。
理由は体型を隠したいから。
 
私は171センチと
女性の中では高身長。
体重も非常に健康的な数字で
好意的に言えば「むっちり体型」です。
太ももはぴっちり、二の腕もふるふる、
輪郭も美しい放物線を描いている。
 
「ダイエット」という言葉が
流れ星のように脳裏をよぎるたび、
そんなストイックさはないからと
逃げのように服装で隠す日々。
 
「痩せたら着たい服」
みなさんにはありますか?
花嫁さんにはドレスで
悩む方も多いかもしれません。
痩せたら着たい服、
私にはたくさんあります。
でも日常使いの洋服への
「着られたらいいなあ」程度の
気持ちが、つらく苦しいダイエットの
糧になるはずがありません。
「明日から走ろうかな」
そんな薄い思いが
明日の自分に託されて、
明日の自分がさらに
明日の自分に託していく。
着たい服は買えないでいるうちに
店頭から姿を消してしまい
よしんば痩せたとて
もう二度と着ることはかなわない。
 
そんな経験が何度もあって
ひとつの事実に気づきます。
「着たい服はさっさと着る方がいい。
 痩せるかわからない自分に
 期待するだけ時間がもったいない」
「自分の体型を疎む1日が増えるより
 どんな体型の自分でも愛せる日が
 1日でも多い方がいい」
 
何においても
理想の自分があるのはいいことです。
目標があることで挑戦できるし
挑戦することで日々に張りが出る。
でも結果である「理想の自分」に
こだわりすぎて「今の自分」という
途中経過を憎んでしまっては
人生は楽しくないと思うのです。
過程を楽しんでこその結果だろうし、
過程を楽しめないままに
結果を求めていくのは
つらいばかりではないでしょうか。
 
体型を隠すという選択を
夏が来るたびにしてきました。
本音を言えばTシャツ1枚と
ジーンズでラフに出かけたい。
夏には夏らしい格好をしたい。
でも自分の体型が
「恥ずかしいもの」だから
「そんな格好はしてはいけない」
こう思い込んでいました。
 
私たちはどんな体型をしていても
私たちの好きな服を着ていいし、
そのせいで誰かが笑ったとしても
本当は自分とは関係ないことなんです。
他人が私のことをどう思おうが
私のことを決めるのは私。
私の人生を楽しめるのは私だけ。
そう思うと急に体型のことで
躊躇していたのがばからしくなりました。
「着たい服を着て何が悪いんだっけ、
 好きな本を読むのと変わらないじゃん」と。
 
例えば今から60年生きるとして。
今日、自分のことを好きになれて
その気持ちが死ぬまで続いたら
残りの60年はすごく気分いいですよね、
きっと今までの人生を
もったいなく思うほどに。
じゃあもし今日も1年後も10年後も、
死ぬまで自分のことを嫌いだったら。
多分、しあわせな人生にはなりません。
着たい服を着られないまま
他人から見て無難な自分を生きていく。
 
人生をいつまで生きられるかは
誰にもわかりません。
わからないからこそ
残りの人生に少しでも
楽しい日が増えるように、
自分のことを今日、
好きになれたらいいですよね。
お気に入りの服を着て出かけられる日が
1日でも増えるのなら、
それは最高にしあわせなことです。
 
だから私は、体型を理由にして
着たい服を諦めるのを辞めました。
私の人生を楽しめるのは私だけ。
私の人生を楽しくできるのも私だけ。
今日がいい日ならきっと
明日もいい日になる。
そう信じて。
 
紗季
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「つけるたび、もっと自分を好きになる」
 
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