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好きなバンドがそんな歌を歌っています。
 
「生きるというのは薄氷を踏むように脆い」
前回の投稿で大河さんはそう表現し
私も一分の違いもなく同じことを思います。
 
今日も17時ごろから
晩ご飯をつくり始めました、
大河さんの好きな豚汁です。
野菜もお肉もこんもり入れて
食べごたえ抜群でつくるのが好きです。
 
一緒に暮らしたこの4ヶ月、
つくれる日はなるべく
晩ご飯をつくっています。
「晩ご飯をふたりで食べる」という
ありふれた日常は
数えきれないほどの奇跡の上に
成り立っていることだから。
 
毎夜眠って、
朝になれば目が覚めること。
大河さんの出勤を見送り、
しばらくしたらおなかがすくこと。
窓を開けて心地よい風を感じること。
昨晩の残り物を温めて
おいしく食べられること。
買い物に行ったり仕事したり
自分のやりたいことを
自分で決めてその通りにできること。
ふたりのための
今日の晩ご飯をつくれること、
そしてそれをふたりで
顔を見ながら食べられること。
「また明日ね」と言って
あたたかい毛布の中で眠ること。
 
私たちの1日はとても平凡で
派手なことが好きな人には
「つまらない」と
一蹴されるかもしれません。
だけどその「つまらないこと」も
生きていないとできないことです。
 
今日という平凡な1日は
これまで1日だって欠けることなく、
それこそ薄氷を割ることなく
生きてきたことへのご褒美だと
私は考えています。
 
そして晩ご飯をつくるのは
大河さんが無事に帰ってくると
信じているからこその行動です。
 
きっと今日も大河さんが
1日事故に遭うことなく、
けがや嫌な思いをすることもなく
無事に家まで帰ってきてくれて、
つくったご飯を
「おいしい!」と
にこにこしながら
おかわりしてくれる。
晩ご飯のあとは一緒にテレビを見て
ああだこうだと話ができる。
そんなありふれた日常が
今夜も訪れる。
そう信じているから
毎日晩ご飯をつくって
大河さんの帰りを待っています。
 
ありふれた日常は
何にも代えがたい幸福です。
明日、私が死んだとしたら
すべてを代償にしてもいいから
もう一度生き返りたいと言うでしょう。
この穏やかな日々に帰りたいと
強くつよく願うはずです。
 
おしまいに、タイトルに挙げた
「今日も生きたね」という歌から
好きな歌詞を引用します。
 
「今日も生きたね
 望んでも望まなくても
 これが最期の言葉になっても
 いいように歌いたい」
 
「なんて美しい日々なんだろう
 君を待つ日々は
 なんて美しい世界なんだろう」
 
私たちの毎日は
薄氷という脆いものの上に
成り立っています。
それでも、私たちにはこれからも
穏やかな日々が訪れてくれると
信じています。
どうか、私たちの日々も、
みなさんの日々も
穏やかに、ゆるやかに
続いていきますように。
 
紗季
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「つけるたび、もっと自分を好きになる」
 
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