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指先でふれるイヤリング

誰かの大切なものをさわるとき。
持ち主に許可なく
拳をぐっと握って
殴るように勢いをつけて
さわる人はいません。

だいたいの人は
わくわくしながらも落ち着いて
両手で包むように持ったり、
ときにはハンカチでくるんだり
きっと大事にだいじに
さわるはずです。
指先で、静かに、そっと。

「自分のことなんて好きじゃない」
そう言う人がいます。
「私なんていてもいなくても変わらない」
「だからどうなっても別にいいんだ」
「自分のことを自分でどうしようと勝手でしょ」
私も若いころ、そういう考え方をしていました。
当時はかなりはすっぱな態度で、
斜にかまえすぎて
一周回って水平みたいな状態で
思い出すと恥ずかしいのですが……、
私はあるときこう思います。

「自分の気持ちやからだが
 いくら自分のものだと言っても
 私という存在が生まれるまでに、
 親を始め、何十、何百の祖先があったはず。
 祖先たちが生きた末に、
 現代に渡しが生まれたのは
 まさに奇跡的な確率なのではないか」

「そんな莫大な時間の果てに
 こうして生まれたんだから、
 自分のことを好きになって
 しっかり生きる方が絶対楽しいぞ」と。

以降10年ほど生きていますが
人生はかなりいい感じです。
自分で自分のことを気にかけて
いやなことには
苦慮しながらもNOと言い、
会いたい人に会い、
したいことをする。
そうすると楽しい時間が多くて
笑いっぱなしだからなのか、
まわりの人にもよくしてもらえるんです。
自分のことを好きになっただけで
こんなに人生は楽しくなるのか、と
日々不思議な気持ちです。

私は私のものですが
親が生んだ存在であり、
その親は祖父母が生んだ存在です。

私は私のものですが、
親から見たらかわいく、
祖父母から見ても、
かわいい娘息子が
おなかを痛めて生んだ孫は
やはりかわいいのです。

誰かの大切な子どもが
家庭を設けて子どもをつくり
その子がまた新しい家庭を成す。
そうして人は大切な存在を
たすきのようにつないできたのです。

人はひとりで生きているのではなく、
ましてや「自分だけの存在」でもない。
今はもういない誰かが
長い時間をかけてその家族や友人を
いつくしんできたからこそ
つながり、生まれた存在なのです。

自分のことを大切にできないときって
正直誰にでもあると思います。
そんなときが訪れたらどうか、
慣れないものを持ってみてください。

ふんわりした淡い色の服、
高く華奢なヒール、
華やかなアクセサリー。
人は慣れないものをさわるとき
少し緊張します。
その緊張があるからこそ
ていねいにふれます。
「ていねいに」という思いはきっと
モノを通してあなた自身にも伝わります。

「指先でふれるイヤリング」。
スワロフスキーとファーは
意外と持っていないけど、
女性らしさを格上げしてくれるアイテム。

手ざわりのやさしいファーは
指先でなでるだけでも
あたたかい気持ちになります。

自分を大切にしたいとき、
誰かに優しくなりたいとき、
お守りのようにつけてほしいひとつです。

ピアスでのおつくりも可能です。
ご購入はこちらより。

指先でふれる

紗季

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「つけるたび、もっと自分を好きになる」

日曜日 nichiyoubi
 オリジナルアクセサリーブランド
 スワロフスキービジューを
 初めてつける方向けの
 アクセサリーを作製しています。

 鎌倉にてアクセサリー教室も開催中。

Instagram
https://www.instagram.com/nichiyoubinoasa/

ウェブショップ
https://nichiyoubi.official.ec/
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